http://response.jp/article/2015/05/21/251645.html
を見ると、ちょっと歴史が書いていあります。
現在の京王線は1913年4月15日から1915年5月30日にかけ、第1期工事区域の新宿追分(現在の新宿三丁目交差点付近)〜調布間が京王電気軌道の路線として開業。道路上に軌道を敷設する併用軌道を一部の区間で採用しており、電車は新宿追分停留場から甲州街道上を西に進んでいた。その後、新宿追分停留場の移設(現在の京王新宿追分ビル)や、国鉄新宿駅西口側への移転、併用軌道区間の解消や地下化を経て現在に至っている。
そうでした。東横線が入ってくるように考えていた所を京王が使ったのでしたよね。
先日の新宿大火復興区画整理の話で載せた大正6年12月印刷の新宿近辺の一万分の一地形図も見てみましょう。
開業当時は、追分の交差点のところ、道路上に駅があったことが分かります。大正4年1915年の時はこのようだった。これが新宿追分停留場。
昭和2年になって武蔵屋呉服店が入ったターミナルデパート「京王新宿ビルディング」が出来て駅が移り、松屋も出店して、四谷新宿駅と改称する。という順番だったのですね。
何となく四谷新宿駅の方が先で、市電との接続を考えて道路上に持っていったのかなと思い込んでいました。せっかく市電への乗り入れのために軌間を合わせたのだけどそれを断念してターミナル駅を作ったということなのでしょうかね。
また、大正4年1915年の2年前の1913年4月15日に開業した部分はどこまでだったのかと疑問に思って、困った時のWikipedia頼みで見てみると、本当かどうか分かりませんが、下記のように書いてありました。
1913年(大正2年)4月8日に、玉川電鉄と東京電燈から買った電力を笹塚変電所 (100kW) で受けて、4月15日に笹塚駅 - 調布駅間の12.2キロの電車営業と、電車の補助機関として新宿駅 - 笹塚駅間及び調布駅 - 国分寺駅間の乗合自動車営業(路線バス事業)を開始した。その後は1914年(大正3年)11月19日の京王線の新町駅(現存せず) - 笹塚駅間の延伸を皮切りに、1915年(大正4年)5月30日には新宿追分駅(新宿3丁目付近にある追分交差点にあった駅 現・京王新宿三丁目ビルの位置) - 新町駅間が、1916年(大正5年)6月1日には調布駅 - 多摩川原駅(現・京王多摩川駅)間が、10月31日には調布駅 - 府中駅間が延伸開業した。また、1923年(大正12年)5月1日には新宿駅 - 府中駅間の全線複線化も行っている。このほか、1919年(大正8年)4月には多摩川原駅前での造園事業も行った。
1913年4月15日に開業したのは、笹塚以西だったんですね。乗合自動車営業(路線バス事業)で新宿駅まで繋いでいた。
京王多摩川駅は、中央線多摩川支線の多摩川原駅と同じ名称だったんですね。
新町駅はここにありました。
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多摩川原駅はここ。貨物駅です。