練馬区まちづくりセンターからの「丘陵地でない大泉学園都市が格子状道路網の計画なのに真北を採用していないのは謎だ」という問題提起がホームページであったことが端緒なのだが、そういうことを言い出す人はこれまで余り居なかったと思うので、都市計画に関する楽しい話題の提供になった形である。
真北を採用していないのは謎というスタンスで書かれているが、実際の都市開発は、特殊な例を除き、真北の格子状道路網の計画が採用されることが寧ろ珍しいのが真実である。東京の地図を見れば歴然としており、真北に拘らないのが普通ではないかと思われる。しかし、センターでは、奈良、京都、長安、エジプトのピラミッドの例を示して、磁北よりも真北が正統であるというようなストーリーを作っている。
古代の都市計画では確かにそうかもしれないが、都市計画の実務をやってきた方なら分かると思うが、普通はそんな拘りはない。東京における主要な市街地整備事例を見てみても、磁北合わせだなと思われる箇所は良く見かける。それは真北にしたって問題なさそうなのにちょっと東を向いている。
昔から、それは午前中に早く南側から日照を取りたいということや西陽を避けたいという気持ちなのかなと思いつつも、設計者の意図の検証はしてきていないので、偉そうなことは言えないのだが、これもまちづくりセンター発で話題になったことがある練馬第一土地区画整理と練馬第二土地区画整理のところについて下記でコメントした時にも示した地図でもわざわざ真北にしていないことが分かるので思い出して欲しい。
2014年09月03日
練馬第一、第二区画整理の苦労の跡
http://suzuki.seesaa.net/article/404134568.html
より大きな地図で 旧法区画整理プロット(区部) を表示
葛飾区役所の隣も同様である。
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今仕事で付合いのある国立市役所は、同じ箱根土地による耕地整理で有名であるが、ホームページでもちゃんとその歴史について載せている。これを見ると、同市の真摯な姿勢が見て取れるのだが、そこには昔の大泉学園都市の計画図と思しき図が示されていた。
旧国立駅舎とまちの関係は今日でも受け継がれています(国立市役所HP)
http://www.city.kunitachi.tokyo.jp/ekishuhen/kyuekisha/001517.html
これである。当初の計画では中央にかなりの広幅員の大通りを配してることが分かる。

また、正確にはGISで画像データを重ねてみなければ分からないが、どうやら、当初は今より更に傾いていたようだ。
今の道路網は、昭和7年に耕地整理が行われた後のものであり、その前にどのようであったのかが分からない。箱根土地による開発・分譲は大正期から行われている。今の道路網は大学誘致を諦めて撤退するにあたっての再整備を意図したのではないかと勝手に想像している。
練馬区まちづくりセンターでは、大泉学園都市開発の実情について詳しく把握していないようである。また、最初の住宅地開発が行われたであろう江古田についても研究が進んでいないのではないかと思われるので、まちづくりセンターの今後に期待している。練馬区の都市発展史を語る上で、それが抜けていると重大な欠陥となるので重大であるから、精力的に取り組んで欲しい。

