練馬第一土地区画整理事業と、練馬第二土地区画整理事業のところは、昭和2年に都市計画決定した補助線が斜めに入り、更にその後細道路網路線が細かく入って、菱形の幹線道路構成になってしまっていましたので、区画整理ではなんとかそれを南北東西軸グリッドに修正する措置を区画整理設計で行っており、苦労の跡が見て取れます。
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同じようなところは、都内で幾つかあります。有名なのは葛飾区役所の西側です。
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2014年09月03日
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傾いている大泉学園都市
Excerpt: 昨年は「傾いている大泉学園都市」について一部の都市計画関係者の話題になった。 練馬区まちづくりセンターからの「丘陵地でない大泉学園都市が格子状道路網の計画なのに真北を採用していないのは謎だ」という問..
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Tracked: 2015-01-22 08:04
練馬第一土地区画整理事業のところも磁北を基準
Excerpt: 旧法土地区画整理事業の練馬第一土地区画整理事業のところも磁北を基準にしていたことが分かります。 長崎村の耕地整理のところも同様ですね。
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Tracked: 2015-10-04 13:01
磁北基準の区画整理と耕地整理
Excerpt: 葛飾区役所のところの梅田土地区画整理事業も磁北を基準にしていますね。 水元も、でもこれは元の耕地整理がそうだったということ。 新宿区内だと、葛が谷耕地整理のところが、一見斜めになっているよ..
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Tracked: 2015-10-04 13:02


練馬まちづくりセンターの小場瀬と申します
初めてお便りをいたします
今回の練馬平和台と氷川台の区画整理についての
解説を「目から鱗」という感じで拝読
どうしても全体的な道路パターンを見ると
何か中心から同心円状に細街路を計画したように見えますが
むしろ大幹線道路、細道路網計画による地域の主要道路が先に約45度に傾いて計画されていたために、
細街路を一見同心円状に計画したように見えますが
細街路を平行に配置して行って
幹線道路との交差部を45度に振って行ったと理解すればよいとのこと
なるほどと思いました
大泉学園町の道路網の傾きについても
一見平らな地形のように見えても
微地形の起伏に注目すると
道路網が傾いた訳が理解できた次第です
また色々ご示唆に富んだお話
大いに期待をしております
コメント有難うございます。
日頃練馬区のために御尽力いただきまして有難うございます。
向山の城南住宅や東側大泉の将校住宅といった練馬の住宅地開発は余り世の中に取り上げられることがないので、詳しく御紹介いただきまして有難く思っております。
小竹町についても、佐々木家住宅を取り上げていただきました。
うちは同潤会が来る前に本郷から移ってきました。大正11年に武蔵高校と駅が出来て、駅周辺が開発されましたが、これが練馬区にける最初の住宅地開発ではないかと考えています。
駅の近くから開発され、次に羽沢や小竹町が開発されていき、その後北傾斜で残っていた同潤会のところが区画整理され、一部に同潤会の建売住宅が建ったという流れですが、駅周辺を誰がどうやって開発したのか?同潤会のところを区画整理したのは誰なのか?旧法の区画整理ではないと思いますが、耕地整理だったのか?
分からないことだらけです。
お忙しいところと存じますが、まちづくりセンターで是非その辺りを解明していただきたいと思っております。
よろしくお願い申し上げます。
世田谷区役所では、耕地整理の箇所も含めて区画整理などで整備したエリアの把握に努め、区民からの問合せに対応していますが、練馬区ではなさっていますでしょうか?
http://suzuki.seesaa.net/article/407721245.html